水の風景―WaterLink 2008を歩く 藤嶋俊會

水の風景―WaterLink 2008を歩く
藤嶋俊會

 中央線で八王子駅から下り列車に乗ると、気分はもはや東京や神奈川を離れている。谷間をうねうねと走る列車は一瞬だがそうしたファンタジックな旅心を誘ってくれる。かつて藤野町で野外アートのイベントが行われたとき何度かこの線に乗って訪れた。横浜から来る者にとって相模湖町や藤野町は、ここも神奈川県内の町だと地元の人に言われて改めて気がつき、少し遠いかなと感じるくらいの距離であった。「フジノ」から何年経ったのだろうか。10年一昔といわれ、「フジノ」の歴史がひと段落して、アートの手法が新しい世代によって受け継がれようとしている。この企画も参加している「横浜トリエンナーレ」のメイン・テーマは「タイム・クレヴァス」というタイトルで、「時の裂け目」を意味する。世代の交代に立ち会ったようで、時間の営みの奥深さを感じた。
 今回は「水」がテーマである。相模湖の水、相模川の源流道志川の水、その道志川から横浜にもたらされた近代水道の水、人々は水をどれだけ真剣にかつ苦労をして求めてきたか、水道の技術の歴史はそれを伝える。しかし水は上手に操らないと暴れることがある。だが水はやはり命の水だ。そして久しぶりに池田一さんに会えたのがうれしく、この企画にとっても素晴らしいことであった。本当は池田さんの水のパフォーマンスが実現できればもっとよかったと思うのだが。
 今回の23人ほどの作家の出品作を見ていると、水のさまざまな表情が見えてきて、その現れ方は多様である。水はそれだけでは自立することが出来ないので何らかの器を必要とする。そのためにそうした受容器のような形を作品とする者が何人か目に付いた。もちろん水の受け皿は単なる容器としての受け皿ではない。恵みを受け取る受容器の形が作品なのである。あるいは水を風景の中の重要な要素として組み込んで、いわば水の風景として眺めることを主眼とする作品もあった。その背景は相模湖という大きな水がめそのものでもあるし、そこに浮かぶという特性を生かした作品もあった。また畑や土などに対して水がどのように関わるのかを観察するような作品もあった。水と土という通常の自然の営みではなく、水をもって土と戯れることによって得られる水の、普段は見られない表情が作品化されていた。
 野外のアートでいつも思うことは、川の流れに象徴されるように水は時間を超越して存在する、それに比べたら人間の営みなど何と小さなことだろうかということである。それにもかかわらず分かりきったことだが、人間はその小さな営みを積み重ねて行くほかはないということを改めて確認することでもあった。(美術評論家)


(写真内人物、右が藤嶋氏)

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